伊勢ヶ濱部屋の歴史
1921年(大正10年)1月、当時平幕であった清瀬川は、所属の熊ヶ谷部屋の後継者が敷島猪之助に決まったため、内弟子を連れて楯山部屋(幕下・友響治三郎)の預かりとなった。その後、清瀬川は関脇となり、1929年(昭和4年)9月場所限りでを現役引退し年寄・伊勢ヶ濱を襲名。同時に、楯山部屋に預けていた内弟子を連れて伊勢ヶ濱部屋を創設した。5代伊勢ヶ濱(元関脇・清瀬川)は、38代横綱・照國、平幕優勝の備州山など多くの関取を輩出し、一代で部屋を大きくした。
横綱・照國は、1953年1月場所を最後に現役を引退して年寄・荒磯を襲名した。このとき5代伊勢ヶ濱は弟子全員を荒磯に譲って自らは取締役に専任したため、部屋の名称が荒磯部屋と改称された。しかし、1961年1月の定年制導入により5代伊勢ヶ濱が定年退職すると、荒磯は伊勢ヶ濱の年寄名跡も譲り受けて6代伊勢ヶ濱を襲名し、部屋の名称は再び伊勢ヶ濱部屋に改称された。6代伊勢ヶ濱は大関・清國や関脇・開隆山といった関取を育て上げ、また稽古土俵を二面作るという稽古場を作り上げて話題になった。
1977年3月に6代伊勢ヶ濱が死去し、同年4月に部屋付きの楯山親方(元大関・清國)が7代伊勢ヶ濱を襲名して伊勢ヶ濱部屋を継承した。7代伊勢ヶ濱は、先代から引き継いだ弟子の小結・黒瀬川や、自身の直弟子の前頭・若瀬川など多くの関取を育て上げた。
7代伊勢ヶ濱(元大関・清國)が2006年11月に定年を迎え、翌2007年11月30日に安治川親方(元横綱・旭富士、1993年4月から安治川を襲名し安治川部屋を継承)が9代伊勢ヶ濱に名跡変更し、同時に安治川部屋を伊勢ヶ濱部屋に改称した。これは立浪一門からの派生であり、異例の抜擢、継承であった。
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